英国EU離脱問題にみる東洋思想の素晴らしさを改めて実感(^^)
いや〜、英国のEU離脱を機に自分も改めて人間の自由さとは何か?
と深く考えさせられました。
とある、掲示板にこの英国の問題について面白い考察が書かれていました。
この考察には華厳経の考え方をフィルタリングする事で、
今回の英国EU離脱の深渕が垣間見えるとしています。
以下引用
英国で起こっていることは米国で起こっていることと同じで、システムに対する大衆の反乱だと思います。この反乱の兆候は英国だけでなく、ヨーロッパの各地でも見られます。
歴史的に戦争ばかりやってきたヨーロッパが、欧州連合(EU)という形で戦争の神マルスを始め色々な魑魅魍魎たちを封じ込めたのに、そのやり方のしわ寄せが大衆に来て、今やそれら大衆の不満がEUシステムに向けられるようになりました。
欧米の知識人らコスモポリタンたちは、このパンドラの箱からこれら危険な魑魅魍魎が再び飛び出してきて、ヨーロッパ
がかつてのような戦場に戻ることを恐れています。
しかし、見方を変えれば、EUシステムは、新自由主義によるグローバル化のヨーロッパ的な現れであり、同様のシステム
が米国でも支配しています。そして、このシステムに対する反逆が、サンダース現象、トランプ現象として噴出しています。
世界各地で今起こっていることを見て感じるのは、普遍的なシステムで地球上の多様な人間共同体を統合するという発想
に対し異議が上がっているのではないのかということです。つまり、普遍で個別を統合する方法への疑義です。
普遍による個別の統合とは、華厳経の哲学における「理事無礙」(=普遍と個別の間に障礙がない)を指します。これが問題となった今、これに代わるものを探すなら、同じく華厳哲学の「事事無礙」(=個別が普遍を通さずにやりとりし、そこに障礙がない)に行き着きます。
そこでは、普遍的な原理が個別を統合しているのではなく、ただ全ての存在の基底(あたかも大きな画布=カンバスのようなもの)の上で、多様な個別が共存している状態ではないかと思います。
東南アジアでは、このような異質なものの共存がすでに見て取れます。北東アジアでも同じようなあり方が可能ではないかと思います。事事無礙の原理に基づいた東アジア共同体が、これから形を現すかもしれません。
以下のリンクで華厳経について分かりやすく解説しています。
この中でこの文章はまさに今回の英国EU離脱の根本的な事を表しているのではないでしょうか?
以下一部引用
私たちは、ともすれば、外界の実在性とその自律性、つまり、たとえば自分が勤める会社や官庁も、日本という国も、さらには国際社会も、自分とはほとんど関係なく厳然と存在し、それぞれの機能に従って動いているということを鵜呑みにして、絶望的になったり、自暴自棄になったりしがちです。しかし、上に述べたように、『華厳経』や唯識の教えによれば、私たちは誰もが自分の世界を自分でつくりあげ、それを生きる存在です。その意味では、私たち一人ひとりがかけがえのない固有の世界の創造者なのです。すべての人びとが、自らの生に誇りをもち、自らの心で自らの生をデザインし、自らの世界をより美しく価値あるものにしていってほしいと願わずにはおられません。
なるほど、普遍とはすなわち共同体を意味するものとした捉えた場合、
個とは相対するものになる。
今回のEUの枠組み自体がもうこの個を抱合出来なくなった古いシステムであるという事を言っています。
日本はじめ、アジアの文化はこの点在する個を全て抱合する、
即ち違うものを認める”是認"の考えが根本にある。
よって、そのような力づくで作った枠組みではない緩くも程よい力で結束する理想的なコミューンが出来上がると。
いやはや、華厳経の考え腑に落ちます。
流石は御釈迦様が唱えられた素晴らしい思想です。
東洋思想が語られてから何十年の月日が経ちますが、
欧米の支配者層はその本質を何ら理解してないという事なのでしょう?
帝国主義(過去、異教徒を認めず何十万、何百万を虐殺してきた。お前のものは俺のもの的な略奪もじさない強欲な一面もある支配的な思想だと思います )なるものが前提としてある国々なのだから難しいのかもしれませんね…
僕は日本人やアジアの人たちは押し付けではなく"共感"を通じて分かり合う事を大切にしているように思います。
もっと、この考え方を元に日本はじめアジアの素晴らしさを世界に広めないとと思う今日この頃です。